刹那主義至上主義

こいついつも推敲してないな

僕が無職になったわけ(ついでに刹那主義とは)

このブログは刹那主義を語る僕が無職になった事が起因して開設された。よって僕が無職になった経緯を語らずして始まらないだろう。

 

まず、刹那主義とは、イマを大切にする生き方。過去や未来に囚われずに、1秒1秒が過去に変わる今この瞬間を充実させるために人生を捧げる生き方。過去=つまりは経験や知識(自分が獲得した経験や知識に限らず)に引っ張られて一歩踏み出す事に怖気づいたりしないし、未来=将来の事を見据えた我慢をしたりしない。こう書けばとても良いものに映る。しかし、将来を見据えた行為をしないという事は、未来を捨ててイマの幸せのためだけに生きるというわけでもあって、こう表記すれば一般的でない思想に見えると思う。

僕が無職になった理由はこの将来を見据えた生き方をしないという考え方の為である。一般的に、就職していればいずれ出世しフリーターに比べて経済面で有利になる事は明白である。世間体も悪くはない。

しかし、だ。就職して働く行為には大きな問題がある。言わずもがな、それは時間である。

人生において、人間がどう足掻いても獲得することができないものが時間である。時間に関しては、神に与えられた分しか保持することができない、石油王になっても、その与えられた寿命を拡張することはできない。

そんな時間だが、就職者がフリーター、ニートと比較したとき、それを自由に使える時間は倍以上に差が生まれる。僕はそんな職場ではなかったが仮に残業なし完全週休2日制で祝日も休みだったとしよう、それでもニートと比べれば、毎日通勤時間と8時間と仕事の休憩時間の分の時間(確定して10時間前後、睡眠を毎日4時間だけにして20時間行動できるようにしても、一日の半分の時間)は失うのだ。

僕の場合は残業ない日なんて就職してはじめの数週間だけだったし、完全週休2日制じゃないし、祝日も無関係に出勤だったし、有給なんて都市伝説の存在だった。生活するためのお金を稼ぐために働く僕には、そこまでの対価を払ってまで人生の有限な時間を犠牲にすることが許せなかった。もちろん、働く理由がお金じゃないなら話は別なのだが。さらにいうと、自分で犠牲にする時間を選べない点が気に入らなかった。それならフリーターとして自分で時間を調整して生きて、手に入れる金額が下がる方がいいと思った。

 人生でどんなに頑張っても有限と決められている寿命を、自分の意志にそぐわない形で消費いているのが嫌だった。さらに、この時間というものは、必ずしも約束されているわけではないのだ。もし今日死んでしまえば、今まで僕はなんの為に人生を払ってきたんだって話になるのだ。

そして時間にはもうひとつ特徴がある。今日と明日は同じ24時間でも、違う24時間ということだ。今日と明日は違う1日で、今日しか会えない人には今日にしか会えない、時の流れは一方通行で今日を犠牲にしていまったらもう2度と今日を手に入れることができないのだ。僕が犠牲に払った19歳の頃の僕はもう絶対に取り返せない。この世界にタイムリープが存在しないことは悲しい事にアニメオタクの僕が一番知っている。

そんな理由で、僕はイマという時間を自由に自分で選択して使うことができるニートという身分になった。将来経済面で苦労するとか知った事ではない。時間という対価を払うストレスを抱えすぎて自殺してしまったら意味がないし、10年後30年後過去になったイマを笑顔で思い出して誇れる自信がない。それに、僕がなりたいのは勝者じゃない。そんな犠牲を払ってまでお金を手に入れる勝者より、自分のしたい事、信念を貫いて生きる勇者になりたい。

 

さて、時間について散々語ってきて、じゃあ君はそんなに自由な時間を手に入れて何がしたいのって話なのですが、これはあんまり口に出して言いたくないのだけど、物語を書きたいんですよ。これは親にも言ってなくて、だから親にはほんとに仕事で疲弊して心折れてニートになったゴミに見えてると思う。なんで言ってないかというと、自分には公言してしまえば必ず達成させないと思ってしまう呪いのような癖があるからで(幼い頃から植え付けられた呪いだと思ってる、これのせいで将来の夢を持つことができなかったんだと思う、将来の夢って掲げると叶えなきゃいけないって子供の頃からなぜか思ってて、まじめに夢を持ったことがない)、まぁ未だにこれを言うのが怖いわけですよ。夢持つのも語るのも挑戦するのもタダだし人の勝手なのにね。

なんで物語かっていうと、僕はアニメオタクだから。絵が描ければアニメーターになっていたかもしれない?というよりは自分で全部考えて作れる漫画家を目指していたかも。仮に萌えアニメだって、萌えはイラストだけじゃなくてそのシチュエーションにより魅力が生まれるものだと思うし、やはり僕がアニメにおいて重要視しているのは物語に思う。活舌がよかったら声優を目地していた説、なくはない。(でも君声優ってより声優ラジオが好きって言う方が正しいよね、それ仕事として憧れてるんじゃなくてわいわい喋って楽しい事してる事が好きなだけだよね、アイドルになりたいのが近いんじゃないかな?)

そんな物書きを志してはいても僕が日ごろ触れる媒体はアニメーション、悲しい事に文字ではない。だから手に入れた時間はまず読書に使う。文字に触れ作者の意志に触れ、僕は日々進化せねばならない。ちなみに国語で本読むのは好きだったし本を読む行為は嫌いじゃない。ただ本よりアニメのが触れやすいこの世界、環境が悪いのだ

 

ここまで書いて、これからの人生が楽しいもののように見えるけれど、今の僕は、ニート生活を本当に楽しく送れるのか不安だ。本当に本を書けるのだろうか、という不安はもちろんあるがこれは乗り越えるべき壁なだけだろう。それよりも僕が恐怖している事は「自分が仕事を辞める事に不安を感じている事」である。なぜ僕は自分が幸せに向かっているのにそれを不安に感じているのだろうかと自分を疑いたくなるのだ。仕事していて楽しいと思った瞬間なんて1秒もないし、仕事はいつだって辞めたいと思っていた、いや思っているのだが、辞めることが怖い。自分で意味がわからない。いや、自分は仕事できなかったわけじゃないから、むしろ優秀だとさえ思っているほどに仕事ができるからなのだろうか?自分の私生活、人生が犠牲になるのが嫌だから辞めたいわけで。もしそうなのだとしたら、それは恐ろしい事である。ストレスで麻痺して人生諦めるところだったわけなのだから。仕事ができる事と仕事を続ける事はイコールになってはいけない。まさか自分が仕事を辞める事に不安を感じるなんて本当に思わなかったよ。辞めるって上司に言いに行くときも、なんでこんなに緊張しているんだろうって思った。このふたつばっかりは驚愕という言葉を使わずにはいられない。

 

多分次の記事は僕のニート生活の盟約について書く記事になりそう。ニートといえど、僕は物語を作りたいからね、ただゴロゴロしてるわけにはいかないんだよ