刹那主義至上主義

こいついつも推敲してないな

常識 #とは

仕事を辞めたから、会う人会う人に「この先どうするの」と訊かれる。つまりは「これからどこに就職してどうやって生きていくの」という事。いやそれあなたが知ったところでなにか利益あるんですか、とまでは思わないけれど、鬱病診断で辞めたからわからないって返事されたらなんて答えるんですか、とは思う。

そんな事が言いたいのではなくて、私が言いたいのはどうして働く事が前提なんですかって事。このブログ読んでる人は知ってるけれど、私が仕事を辞めたのは「働く事が嫌いなのである程度の金額が貯まったから辞めた」が理由である。より具体的に説明すると「やりたいことがあって、ある程度の金額が貯まったから大嫌いな労働を辞めてやりたいことに専念したい」が理由である。

私は働く行為がしたくないから仕事を辞めたわけです。なのにどうして、辞めた後はどこで働くの、どんな仕事するのって話になるんですか。

ここで、日本語通じないあなた頭おかしいんじゃないですか、と言ってもいいのだけれど、親含めこのブログ読んでない人間みんな口揃えてこうやって訊いてきたから、さすがの僕もおかしいのは人間の頭じゃない可能性を考える。

 

そう、おかしいのは彼らの頭じゃない。おかしいのはこの世界の常識である。

 

仕事を辞めたら次の仕事について考える、また次の仕事について考えてから仕事を辞める、それがこの世界の常識になっている。どうして仕事を辞めて自由にやりたいことに没頭する事が選択肢に挙がらないのだろう。

どうしてかこの世界の常識は、働くことが嫌いだから働かない、そんな選択をする人間を思いつきもしない。それはなぜなのだろうか。

それは逆になぜ働く事が常識になっているかを考えれば答えがでる。働く事を常識にしないといけない理由を突き詰めれば答えがでる。

この世界の人間が、働きたくないから働かないって言いだせば無論世界はニートで溢れて社会は回らなくなる。今のような供給で溢れた社会が成立しなくなる。仕事の数が減れば第三次産業から廃れていき、終極は自給自足に帰す。

原因である世界がニートで溢れる理由は、この世界の常識が鍵となる。当たり前な話だが、人間誰しも働かずに生きられるのならば、働きたくないと答える。自分の生きたいように生きるだろう。だが現実は働かねばならない。いや正しくは現実ではなく現状、今の世界のルールとしては働かなねば生きていけない。お金がこの世界のあらゆる物質の価値を決めているのだから、お金を手に入れる手段である労働からは逃れることができない。

そこまでは至極当然の通りである。だが、世界は本当にそれだけだろうか。

私が言いたいのは、本当に生きていくためにそんなにも働かねばならないだろうか、である。必要以上に、過剰に働いてはいないだろうか。

人生の大半を労働という部分が占めているのは明白である。一日二十四時間のうち、最低八時間、つまり三分の一は奪われる。当たり前だけれど、この世界で労働に八時間しか奪われていない人間はほとんどいない。通勤時間や残業でより奪われているのが現状である。仮に毎日定時で帰れて睡眠時間を四時間に絞った人間ですら十二時間以下しか活動できない、いや毎日四時間の睡眠の生活してる人間は普通じゃないというか不健康だからもっと活動は少ないはず。この世界はそんな世界。(睡眠が不要になる異方のテクノロジーの凄さを感じるっていう脱線はこの辺にしておく)

さて、そんなにたくさん働く必要があるのかという話に戻そう。自分が生活するのに必要な分だけ働くならそんなに働かなくていいはずだ。きっと誰もが将来の事を考えて貯蓄したりしているはずだ、収入に余裕があれば娯楽に使ったりしているはずだ。今の生活に必要な分だけ働くなら間違いなくそんなに働く必要がないのだ。人生にシゴトなんてルビを振らなくていいはずである。

では一体なぜこんなにも過剰に労働する世界になっているのか。それは人間がほどほどの加減で生きられないからである。もし本当に必要分だけ働くようになれば、一日の労働時間が減れば、今のシステムなら会社は運営できなくなる。今のようになにもかも過剰に備えて供給する事もできないだろう。そしてなにより、人間の頭の良さが必要になる。頭の悪い人間はすぐに破産し人生が詰むだろう。よりシビアな実力主義な世界になる。

世界はそれを恐れている。だってこの世界は誰しもが生きられる世界を目指しているのだから。阿呆に手を伸ばす世界だから、常識、空気、モラル、マナー、法律に規律などの概念が生まれてしまった。存在しない呪縛を生み出してしまった、囚われてしまった。いや、自らが自らを囚われの身に染め上げてしまった。

そんな常識なんて不必要なものに囚われたせいで、人間は今までどれだけの幸福を溢してきたのだろう。我慢で生んだ後悔を、誰しもが抱えた事があるはずだ。この世界は無意味な呪縛で溢れている。話が少し逸れるけれど、イジメだって常識からの逸脱が原因になる場合が多く、これはもはやイジメを生んでいるのは世間だと言っても過言ではない。無意味に枠につくる事で傷つけられる人や才能がある。

この世界が働く事を常識にした事によって阿呆を守っているという事を説明したところで、私はこの阿呆を守るためのルールのせいで不幸になるべきなのだろうか、当然ながら否である。私はこの世界なんてしったこっちゃない。私のこの体は、時間は、誰のものでもなく、自分だけのもの。だから私はこの世界の常識なんて知らない。自分の働きたい分だけ働いて、それ以外は自分のために時間を使う。世界に、常識に、私の人生を奪う事なんて許さない。いつか世界が私を弾き出して、途方もなく、細い針の上にいる事になったなら、私は引き金を引いて終わらせるまで。

 

 

そういえば、財布を使いこなせれば貯金箱はいらないって話、とても面白いなと思ったんですけど、子供の頃、貯金箱にお金を入れる感覚は好きでしたね。