刹那主義至上主義

こいついつも推敲してないな

just because!1話がとても良かったのです。

吹奏楽神すぎひん?

 

やなぎなぎで精通したオタク、そるにゃんが楽しみにしていたアニメがようやく始まりましたね。今期はまだsideMとガッチャマンのアレしか見ていないけれど、そのどちらもが高得点で既に秋アニメに満足しております。

んでこのアニメ、んん〜最高やなぁ!?おじさんは大変満足しております。月がきれい難民救済というよりは俺ガイル難民救済になってほしい。ぼくの中ではお笑いが足りない俺ガイルみたいな印象を持った。

視聴している間、常に「ぼくの青春」を頭によぎらせるという事態を発生させているのが何よりの高得点。はぁ〜んって何度呟いたかって話ね。そーゆーアニメは良きなのです。

では何が一体そうさせているのか、それを少し考えてみたいわけだ。

まず会話が印象的。どういう風にかというと、とにかく現実的でつまらない。ギャグもなければ啓蒙でもない、とにかく無味無臭な会話。おそらくこのアニメに低評価を下すオタクはこの部分を減点している。しかしぼくは敢えて言おう、ここが加点要素であると。(説明は後述)

そして次は舞台設定。高校三年生の冬という頭の悪いチョイス。この時期にはもう頭の中は「恋愛<進路」であって青春なんて言葉は消え失せてしまっている時期なのである。高三の冬というものは高校生の頭を既に冷やしきっているのである。だから(これはぼくの主観だけれど)、普通の恋愛作品はこの冬が訪れてしまう前に恋愛を発展させておいて、この冬に恋愛の障害として進路という壁を作るのである。少女漫画の突然の転校ネタは大抵秋から冬にかけてなのである。そういうわけで、冬という季節がスタートになることは珍しいと思っている。そこに敢えてスタートを置くこの作品が楽しみにならないわけがないでしょう?

そういうわけで、この作品には気持ちの悪い会話に青春脳の冷え切った高三の冬という気持ちの悪いたくさんの要素を詰め込まれている。それが重なったときに何が生まれるかというと、リアリティである。背景やキャラデザもそれを助けるものになっている。そしてそこにやなぎなぎの音が交わって「ぼくの青春が脳裏を過ぎらせる」のです。

 

いやまじでな、最後に親友くんが告白しに行ったやん?高三の冬に告白とか頭おかしいんちゃう?まじでスゴいと思ったわ。ぼくにはできひんで。ホームラン打ったら告白ってのめっちゃわかるわ〜そるにゃんも県大会に行けたら告白しようとか思ってたもん。いやおまえ地区の決勝にも行ってへんやんけって話やろ?やめろ。いやまじでな、朝に偶然会っておはようを貰えるかな〜ってわくわくしながら登校して、帰りに偶然合ってばいばいを貰えへんかな〜ってわくわくしながら部活していたんですよ、ええ。自分からおはようをする勇気もない上におはよう以外に会話をすることもなかったのが面白いですよね。それでも片想いし続けて何よりの力の源だったんだから面白いよなぁ。卒業式の日にすら話かける勇気なかったもんな、マジでアホやと思うだで。だから、あの告白しに行ったホームランくんはスゴいと思うのだ。

高三の冬とか人生が詰んでいることを既に実感していた死人やったからマジでこの舞台設定がキツい。この時期のぼく、就職することを死ぬことのように絶望していた(実際、死と同義だった)し、こんなぼくに恋愛をする資格がないと思ってた(思ってたって表記してるけど現在進行形)からなあ。

 

 

……高校生に戻って告白したいでござる。

 

月がきれいよりぼくへの殺意が籠っていて好き。絵はらうんどろーさんのが好きだけど