刹那主義至上主義

こいついつも推敲してないな

暇なので遺書を書いてみた

まだ死なないけれど、書いてみたい気分になったので。ううん、正確には、お勉強の一種として、ね。なんの話やねんっていうのは、そのうちわかるから、待ってて。

とにかく、そういうわけで、遺書を書いてみる。

 

 

えーと、なにを書けばいいのかなーってことで、まず、「遺書 書き方」でぐぐった。いまぐぐった。この言葉を書いているいまぐぐった。決まりはありませんって出てきた。違うねん、そーゆーことは求めてないねん。

というわけで、自由に書くか。

 

まず、どうして死ぬのかっていうのは、間違いなく、この世界で生きることよりも死ぬことに意味を見出したから、価値を感じたからなのだけれど、つまりは「生きる」ことよりも「死ぬ」ことの方が良いって判断したから。生きてる限りお金はかかるし、働きたくはないし、そういう意味で「死んだ」っていうのはまーあるのだけれど、単純に、わたしはそもそも、純粋に「死にたかった」のである。なぜって、「死」に憧れを抱いているから。これはずっと、わたしは高校生の頃からずっと、思ってたこと。

「死」のなにが魅力って、辛さがないこと。もちろん、そこには幸せもないのだろうけれど、けれど、それでも、辛いということはなくなる。そのことがなによりも、嬉しい。幸せがあることよりも辛さがない方を優先するってこと。

あと、生きていることそれ自体に意味がないから。わたしの「生」そのものに意味はないから。ぼくは小説を書いているわけだけれど、小説には意味がある。けれど、ぼくが生きていることそれ自体には意味がない。ぼくが生きていてることでだれかの人生を変えることも、この世界を変革させることもないけれど、ぼくの小説には人を殺すことも人を生かすこともできる。そういう意味で、ぼくは小説を書いた時点で生きる理由を喪失しているってわけ。だから、小説書いたらいつ死んでもいいやってぼくは思ってた。そういうわけなので、ぼくは死にます。ぼくの小説が、ぼくの人生そのものです。ぼくの肉体に、命に、意味なんてありません。

いつか、ぼくの言葉が人を殺せますように。ぼくはそれだけを願い、死にます。さようなら。

 

 

 

 

みたいな感じやなーーー、親への言葉なんて一切考えなかったですね。つまり、ぼくは目的を達成したから死ぬわってことですね。なるほど、生きる理由がなくなった、生きてる目的を完遂したから死ぬって話ですね。まー実際、ぼくの人生は納得のいく小説が書けたらそこで終わりを迎えると思う。真剣に、ぼくは人を殺すことと自分が死ぬことにしか興味がない。死後の世界を知りたいし、死ぬときの痛みも味わってみたい。唯一の欠点は、死ぬ痛みを言葉にすることができないことだろうか。まあ、それはどんな人間にだってできないわけで、仕方ないと割り切れるけれど。

小説読んでくれなきゃ意味ないんやから、知名度を手に入れてから死ななあかんやろってツッコミがきそうだけれど、それに関しては同意せざるを得ない。

面白い死に方したら報道されて有名になるかなぁ。

 

たいしたオチがつかなかったので、ぼくの小説を読んでねって宣伝して終わるわ。