刹那主義至上主義

こいついつも推敲してないな

DTCGのオタクが久しぶりに紙のTCGに触れて気付いたDTCGの偉大さ

 どうも、普段はハースをやっているそるにゃんです。昨日はデュエマ現役勢の友達に誘われてデュエマで遊びました。デュエマで遊ぶのは小学生時代以来でした。

 後々回収するから許してって言葉をここに置いて、今から少し脱線して自分語りをするんですけれど、ぼくは小学生時代にデュエマ、中学生時代に遊戯王を友達としていました。(ひとりでカードショップに乗り込んで対戦相手を求める戦闘民族ではなかったということ)
 高校生時代になると友達が総じてメスアソビを覚えて離れてしまって、それで対戦相手がいなくなったからぼくも離れてしまった。ううん、それは少しだけ誇張表現で、より正確に言うなら、ぼくがポケモンを高校の友達に誘われたのも原因のひとつ。つまり、ぼくは遊戯王の代わりにポケモンを始めたのだ。ちなみに社会人になってからポケモンは辞めた。原因は多忙。
 社会人になった頃に中学生時代の友達がシャドバをやっていて、ぼくも始めた。友達はすぐに飽きていたけれど、シャドバはひとりでもできるから、ぼくはひとりで黙々とやっていた。
 ある日、大好きな佐倉綾音ちゃんにゲームを壊されて、言葉で表現することが難しい感覚に襲われたぼくは、フォロワーさんに勧められたハースを始める。
 そして、いまに至る。

 そんなぼくだったからこそ感じたことを、今日は書きたい。いや、久しぶりにデュエマしたら楽しかった!って純粋な日記を書いてもいいのだけれど、それはそれでTCGの魅力を精一杯伝えられる記事になると思うのだけれど、今日はそれは書かない……はず(書いてるかもしれんわ)

 

 昨日遊んで、めっちゃ楽しかったんですよ。シールド割ったらハンド増やしてしまうからどうしようかなって考えたり、どのカードをマナに置こうかなって考えたりするの、めっちゃ楽しかったんですよ。見たことないカードばかりで構築されてるデッキを使ってるからプレイングはお察しだし、相手がなにやってるのかもわかんないだけれど、それでも楽しかったんですよ。
 そういう話はこの辺で終わって、その後の話。まあ当然、友達に「これを機にデュエマを始めへんか?」って誘われるわけじゃないですか。ぼくもまあそれは分かっていたことというか、今日楽しかったら始めようかなって思っていた次第だったのだけれど、それで「やりますねぇ!」って流れになった。
 それでだ、返事したはいいけれど、ぼくはある壁にぶつかっていることに気付いてしまったのだ。

 デッキが組めない。

 ぼくがカードプールと環境が分からないから組めないって意味じゃない。そんなの、流行りのデッキをコピーするところから始めれば丸いだけの話だから。

 そうじゃなくて、単純に、物理的な意味で、デッキが組めない。

 紙(カード)がないのだ。欲しい紙を手に入れる手段がないのだ。より具体的に言うなら、デッキレシピと資金を用意しても、カードショップに欲しい紙が売っていないと、手に入れることができないってこと。
 衝撃だった。当たり前のことだけれど、ぼくはすっかり失念していた。なぜって、DTCGじゃありえない事態だからだ。
 DTCGは、カードショップにカードが売っていないなんて事態は絶対に発生しない。DTCGのカードショップは全種類のカードを無限に販売してくれる。DTCGは、シャドバでいうエーテルやハースでいう魔素で好きなカードを好きな枚数だけ手にいれることができるのだ。
 だから、この事態は想定していなかった。資金もレシピもあるのにデッキが組めないなんて事態、ぼくはまったく考えていなかった。

 さて、ここでほとんどの読者は「いや、通販使えばいいだけやん」ってツッコミを抱えていると思うから、それについても語る。

 ぼくは通販が嫌いだ。好き嫌いで批評を書くなって話だけれど、それでも書かせてくれ。
 まず、ぼくは通販を信用していない。傷なしって書いてあっても本当にまったくこれっぽちも傷がついていないなんてことは絶対じゃないから。
 次に、手元に届くまでにタイムタグがあることも、嫌いな要因のひとつ。ぼくは購入した瞬間に手元にほしい。ぼくはカードゲームにおいて、このタイムラグはかなり大きな意味を持っていると思う。例えば、DTCGで欲しいカードを生成したときに反映されるのは3日後ですって言われたらキレるでしょう。ぼくはキレる。実際それに腹立ってクラロワってゲームを3日で辞めた。(クラロワのタイムラグは少し違う形だけれど)
 そして、これは屁理屈だけれど、通販でいいじゃんって意見を言われるとカードショップの存在意義が問われるから言わないでほしいって理由。カードショップってデュエルスペースが存在意義じゃないでしょう。その空間が大きな役割を持っているのは事実だけれど、その役割はどれもカードを売るための後付けの理由であるはずだ。カードショップは大会を開いたり客に遊ばせるためにスペースを設けてるわけじゃないはずだ。カードを購入してもらうために大会をとりつけたり遊べるスペースを設けているはず。
 あと、家に届いたときに、親に「なに買ったの」って訊かれるのが怠い。ゲームするためのモニター、アニメBDやエロゲの抱き枕カバーって答えるのは微塵も恥ずかしくないけれど、カード買ったって答えるのは恥ずかしい。なぜって、親はカードへの理解のない人だから。簡単に言うと、ぼくは親に「またそんなお金の無駄遣いをして、
そんなことにお金使うくらいなら風俗にでも行け童貞」って言われるのが嫌なの。分かった?
 そういうわけで、ぼくは通販が嫌い。否定できる正当な理由はない。好き嫌いと屁理屈の領域を越えていない。それは分かっている。けれど、それでも、嫌いなものは嫌いなのだ。ぼくはDTCGのようにお金さえ用意すればなんでもポンって購入することができる環境に慣れているゆとりっ子なのだ。カードショップで全部揃ってくれないとキレてしまうのだ。

 話を纏めると、DTCGは欲しいカードをいつでもどこでもすぐに手に入れることができるのが偉大ってこと。無限と絶対を兼ね備えた在庫を持つことができるのはDTCGの特権で、紙のTCGには一生できないと思う。カードが売っていないからデッキが組めない問題を解決する方法は通販以外にないのだろうか。ないだろうなあ。悲しいなあ。カードショップさん、通販に負けない安定した在庫と価格を提供してくれ。

 

 話は変わって、実は昨日は、ぼくとその友達ともうひとりの計3人で遊んでいたのだけれど、
※補足
その友達(ガルパンアイマスのオタクなのでPと称す。デュエマ現役勢。CSにも出場している。カードを競技だと認識しているオタク)
もうひとり(マルハヴァンというカードを気に入っていたのでMと称す。データ含めたTCG全般ほぼ未経験レベルの初心者。カードを趣味だと認識しているオタク)
 Mが「もう少しデュエマやる友達が欲しいですわゾ」と言った。ぼくも――デュエマは競技としてはしないだろうなって思っていたから――同意した。
 それで、じゃあ誰を誘う?って考えたんですけど、詰んだんですよ。だれも他にデュエマをはじめてくれそうな人がいなかったんですよ。いや、そんなヤツが回りにいたら今日一緒にいるだろって話なんですよ。
 そこでもまた思ったんですよね、DTCGって偉大やなって。
 だって、実際に会わなくても戦えるんですよ。「ランク戦に潜れば誰とでも戦える」って表現をするのは競技色が強まるから、「ツイでフレンド募集したらフレンドが作れる」って表現するべきかな、とにかく、実際に会わなくても遊ぶことができるんですよ。これってすごくないですか。
 ぼくが高校生の頃に遊戯王を辞めたのも、これが理由じゃないですか。周りで友達がしなくなったからぼくも自然としなくなった。対戦相手がいないと紙のTCGは遊べないんですよ。競技としてなら、CSに出場するなりで遊べるけれど、それってぼくやMのような認識の人にとっては勇気のいる難しいことなんですよ。TCGが友達と遊ぶためのツールでしかないなら、身内(会える距離)にプレイヤーがいるかどうかってすごく大きな要素だと思うんですよ。
 けれど、DTCGって会えなくても遊べるんですよ。これはぼくがシャドバをはじめたときがそうで、会えなくてもネット越しに対戦ができたから、気軽にはじめることができたんですよ。友達だって、そういう側面があったからシャドバをやっていたのだと思う。会えなくても遊べる(オンライン対戦)っていうのは友達を作る射程圏内を大きく広げることができる魅力だと思うんですよ。
 この話、どう落とせばいいのか分からないな。あ、そうだ(唐突)もし、ぼくの身内の人でこの記事を読んでいたら、これを機にデュエマを始めへんか?

 

 さて、ここまでDTCGを持ち上げる話ばかり書いて、これじゃ紙のTCGはDTCGの劣化やんっなるので、ここで紙を持ち上げる話をしようと思う。
 これは主観の意味合いが大きくなるけれど、趣味として触れるなら、間違いなくDTCGより紙の方が楽しいとぼくは思った。なぜって、それは「見える」から。
 まず、対戦相手の顔が見える。DTCGだって通話しながら対戦すればこの魅力は補えるのだけれど、やっぱり、相手の顔を伺いながら会話しながら対戦できるのは楽しい。ノリで煽ってブラフをかけることだってそうだし、相手の嫌がっている顔を見ることだってそう。あとは、自分が負けるとき、相手の笑顔が見えるから苛立ちが緩和される。
 もうひとつ、カードが目で見えること。DTCGで運負けするとイライラするときがあるけれど、あれって実物でカードが見えてないからイライラするんだと思うんですよ。紙のTCGでどうしようもない運負けをしても、実物のカードが目の前にあるから本当に運で負けたんだなって府に落とせるところがあると思うんですよ。負けた要因を目の前のカードに押し付けられるって言えばいいのかな。
 そういうわけで、負けてもイライラしにくいっていうのが紙のTCGの利点だと思った。それはぼくがデュエマを競技として取り組んでいないからかもしれないけれど、実際にカードというモノに触れて面と向かって対戦するのは楽しさがいくらか割り増しされていると思う。昨日、握ってる40枚の効果すら覚えてないぼくがCS出てる人間に環境トップデッキでひたすらボコボコにされてキレていないんだから、嘘じゃないと思う。ぼくがハースはじめて数日のときにビッグプリに「最速バーンズヤシャ感謝しますwww」なんてされたら絶対キレてる。いまだってキレるわ。シャドバでいうなら「ゴブリントーブゴブリーアリスバフォ倉木」だろうか(そこで時代が止まっている人)。

 

 あと、これはくっそどうでもいい話なのだけれど、あとでぃすでもなんでもないのだけれど、Mが「とりあえずなんかパック買ってみるわ!w」って4パックほど剥いてたけれど、ソシャゲがオタクに与えたガチャ依存は怖いなあって思った。ぼくはストレージとショーケースでカードを揃えるのが安くてカードショップ的にも利益が出て嬉しいんじゃないの(パックは原価が高いから店の利益が出ないって聞いた)って思っているから、Mの「とりあえず」の言葉の指す意味がまったくこれっぽちも分からない。
 けれど、カード業界的にはパックを剥いてもらわないといけないというか、これが本来の手順だよねえ。うーーーーん、難しい話ね。
 あ、この話はここで終わりです(ぶん投げ)

 

 ここまで色々と書いてきたけれど、なにが言いたかったのかっていうと「身内じゃなくてもカードゲームで遊べるDTCGは偉大やな」ってことと、「紙という媒体がギャンブル性を肯定してくれてストレスを吸収してくれるし、オフラインやから面と向かって対話できて紙のTCGは楽しいな」ってこと。どっちが良いって話がしたかったわけじゃないから、そういう結論はいらないでしょう。強いて言うなら、この記事の結論は「紙のTCGはもっと敷居を下げてくれ」だろうか。まあ、ぼくがDTCGを持ち上げているのは滲んでいるかもしれないけれど。いやでも、つくづくDTCGのカードクラフト機能が便利やと実感したわ。カードに傷がつくこともないし、紛失することもない、さらに価格は全店舗一律。スリーブとプレマが自由自在なのは紙の特権やが。

 最後に、もう一度言うけれど、ぼくの身内でこの記事を見ている人間がいたら、一緒にデュエマを始めようぜ。

 

 ちなみに、ぼくが本当にしたいTCGはデュエマじゃなくてウィクロスです。なぜって、岡田麿里が好きだから。そういうわけで、岡田麿里の初監督作品、「さよならの朝に約束の花をかざろう」をよろしくお願いします!!!!!!!もう見た人は、ぼくの感想記事もよろしくお願いします!!!→(【さよ朝感想】ぼくのヒビオル【ネタバレ注意】 - 刹那主義至上主義

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   ウィクロスの好きなキャラはイオナさんと遊月です。あとちーちゃん